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昭和44年当時の赤坂 ①

  • 2018/08/29(水) 19:57:02

先日、店にある古い資料を片付けていた際に、
古い「東京赤坂組合名簿」なるものを見つけました。

 組合 IMG_0492.jpg    

昭和448月発行とあります。

今から約50年前のもの。
私が昭和48年生まれですので、生まれる4年前。

読んでみると、なかなか興味深い内容がいろいろありましたので、シリーズ化してご紹介。

今回はその第一弾。


①赤坂の組合の規模が かなり大きい


当時の 料亭、置屋、芸妓、その数ざっと数えてみました。


 ■昭和44年当時の組合員
 (カッコ内は平成30年時点、吉の家調べ)


    料亭  39 軒  4軒  写真ご参照)

    置屋 114 軒  3軒??)

    芸妓 296 名  22人~)

これよりもさらに昔、ピーク時の赤坂は、料亭50軒以上、芸妓400名以上だったと言われています。

 ■現在も続く赤坂の料亭 4軒



 浅田 つる中
  浅田               つる中

 金龍 佐藤
   金龍              佐藤


20数年前くらいまでは、夕方になると、きれいなお着物をお召しのお姐さん方を赤坂の街角で見かけることが多くありました。


当時は、自宅、見番、料亭、置屋、全てが赤坂にあることが多く、それぞれを忙しく行き来されていました。 狭い一方通行の両側にハイヤーが停まる風景が日常で、料亭間の移動では、人力車を普段から使っていたのも印象に残っております。

料亭文化には、和の設え、お料理、お花、芸事や嗜み、教養、お作法、おもてなしの心、などなど、いろいろな要素が詰まっています。
 

そんな日本文化の象徴のような場が少なくなっているのはとても残念ではありますが、一流の気概は何とか残していただきたいと切に願います。

当時のお店の広告も載っていましたので、次回はそちらについて。

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